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舛添氏を擁護するわけではありませんが…、政治や報道のあり方に日本を憂う

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舛添都知事の不正疑惑を始め、連日のように日本からの不甲斐ないニュースを見て、ちょっと気になることが溜まってきましたので、吐き出させていただきます。

ということで、今日の記事は直接カンボジアには関係の無い話題ですのであしからず。

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舛添氏のみを叩いている場合じゃない!

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今やインターネットなどを通じて世界中で日本のニュースが見れますので、今回の舛添氏への疑惑に関する一連の報道や記者会見の様子は、僕もカンボジアから注目してチェックしています。

仰々しい記者会見の様子とは裏腹に、続々と出てくる疑惑があまりにもせこすぎ!

そのギャップは「ある種のコメディ」でも見ているような感覚で、正直はじめの内は楽しんですらいました。

権力者が叩かれる様に快感を覚える、卑しい庶民感覚というやつです。

ただその様にも少々飽きてきて、最近ではいつまでも舛添氏「のみ」を糾弾する、政治や報道のあり方にどんどん腹立たしい気持ちになってきました。

もちろん納税者をバカにするような舛添氏を擁護する気はさらさらありませんし、個人的には「とっととお会計して退出ください」と思っています。

ただ仮に舛添氏が1億円無駄遣いをしたとしても、都民の納税者数650万人で案分するとその額たったの15円。

舛添氏がその額以上に都民に利益を還元してくれるのであれば「それくらいおごってやんよ」的感覚で笑って許してあげられなくもありませんし、個人的に政治には多少そういう側面があってもいいとすら思っています。

そんな僕が舛添氏に辞任を期待するのは、今回の一連の報道で露呈した彼の「大義の無さ」や「器の小ささ」が問題なわけで、それは不正利用を返金したり湯河原の別荘を売却したからといって許される問題ではないわけです。

ただし、いつまでも舛添氏「のみ」を叩いている場合じゃありません。

 

2度あることは3度ある

本当は2度どころでは無いのですが、猪瀬前都知事の不正疑惑に続き、今回の舛添氏の問題で東京都知事に対するお金の疑惑が2度続く形となっています。

奇しくも世界から注目されるオリンピック招致から、まだ開催にも至っていない短い期間に連続して都知事が辞職、もしくはその窮地に立たされるなんて、何とも!何とも!お粗末な惨劇ですよね。

これだけ短期間に同種の問題が起こる現状を、はたして「個人の資質による問題」と片付けてよいものでしょうか?

最近では学校などで不幸な事故が1件起こっただけで「学校の管理体勢の問題では!?」なんて報道がされることもあるくらいです。

それに対し政治の世界でこれだけ大きな問題が2度も連続で起きていて、仕組み自体に大きな疑問の声が上がらない報道姿勢には疑問を持たざるをえません。

コメンテーターの中には「政治資金規正法はザル法だから」と指摘する方もおられますが、結局その話の顛末は舛添氏の糾弾にオチを持って行く始末。

舛添氏の器の小ささはもう十二分に証明されている訳ですから、それ以上に大きな問題として「ザル法」を放置している今の体勢自体にそろそろ焦点を置くべきだと思います。

 

だから庶民は舐められる

政治資金規正法などの体勢に政治家がメスを入れられない状況はわかります。だってそれに恩恵を受けているのは、紛れも無くその政治家ご自身ですからね(でも怒ってますよ)。

ただ本来は政治に対してチェック機構であるべき報道関係者が、そこにメスを入れられないってどういうことでしょう?

明らかに仕組みに欠陥があることを棚上げし、あたかも個人の資質の問題であるかのように取り上げる。

都民もその報道を見て一喜一憂している場合じゃありませんよね。

今回舛添氏の一連の会見を見て感じた僕の違和感は、同氏は都民を見て話しているのではなく、明らかに都議を意識して発言していることです。

それもそのはず。

舛添氏の支持率がいくら下がろうと、都民には実質同氏を辞めさせる権利はありません(リコールという仕組みは一応あるが現実的には実行不可能)。

政治資金規正法もザル法である現状では、今回の疑惑を罰する唯一の方法は百条委員会の設置ですが、それには出席した都議の過半数の議決が必要となります。

つまり舛添氏の疑惑を糾弾できるのは、法律でも民意でもなく、都議の裁量ひとつという訳です。

この仕組みの矛盾から目をそらさせるべく、舛添氏個人の問題として声を荒げる政治家、そしてそれに加担するような報道に終始するマスメディア、どれもこれもおかしなことだらけです。

こんな現状、放って置いて良いわけありませんよね。

東京都知事があれだけ偉そうにできるのは、都知事が偉いわけではなく、1,000万人を越える有権者の力があるからです。

だとすれば、都民は今の現状を変える力も持つはずです。

 

カンボジアでのビジネスへの教訓

僕のブログにはカンボジア情報を期待して見にきてくれている方が大半だと思いますので、一応今回の件についてもカンボジアと(無理矢理)関連づけてお話します。

 

今回の舛添氏の報道を見て僕が感じたことは、舛添氏にとっての政治活動は「誰をおさえるべきか」だけを重視している人ではないかということです。

問題となった豪華な外遊も(都民の税金で)側近たちにもしっかりと良い思いをさせ、これまた問題となった国内旅行や外食費でも(都民の税金で)家族サービスにいそしみ、なんだかんだとご自身の働きやすい環境を(都民の税金で)しっかり地固めされていたのではないでしょうか。

問題が公になった後の記者会見でも、都民からの支持率がいくら下がろうとも都議にだけは嫌われるような言動を避け、自身に攻撃の矛先を向けながらも一向に本質に目を向けない掩護射撃?を繰り返すマスメディアにも、連日のようにネタを提供し視聴率に貢献しています(もしマスコミが本質に目を向けはじめたら、すぐにでも都議会に刺されますからね)。

支持率を急降下させながらも、舛添氏は「敵に回していい人間と悪い人間」を見極め、媚び続ける、図太くもその一点からはまったくぶれを感じさせません。

惜しむべきはその姿勢に大義が感じられないこと、そしてあまりにも器が小さすぎることですが、先に述べた一点のみに限っては賞賛にも値します。

もし舛添氏に大義があり、もう少しだけでも大きい器を持っていれば、きっと今でも同氏を後押しする人間がいただろうし、ひょっとしてそれなりの政治家として評価されていたかもしれません。

 

この「誰をおさえるべきか」がビジネスでも重要なのはいうまでもありませんが、トップダウン気質の強いカンボジアでは特に重要となります。

どれだけ事を順調に進めていても「おさえるべきポイント」をおろそかにしていると、誰かの一声で「振り出しに戻る」なんて理不尽が普通に起こりうるのがカンボジアのビジネスです。

カンボジアにも法律はありますが、現状は政治資金規正法以上のザル法です。

だから解釈次第で黒が白にも赤にも変わる、といいますか、往々にしていつも誰かの都合で色を変える「虹色みたいな世界」ですからね。

そういう意味では僕らが立つカンボジアという場所は、ひょっとして舛添氏の立つ世界とちょっと似ている部分があるのかもしれません。

もちろん舛添氏の言動は褒められたものではありませんが、僕も舛添氏の言動をもとに「おさえるべきポイント」をしっかり見極められているか、そして本当におさえるべき言動ができているか、自分自身でも見返してみたいと思います。

もちろん「大義と器」を持って、ですけどね。



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